「反貧困」を読んで気付かされた、あれは生活保護に関わる「水際作戦」だった。2009-01-09 Fri 12:00 湯浅誠氏の「反貧困」なんとなく読みそびれていたのだが、用事のついでに立ち寄った本屋で見つけて昨日読んだ。 この本の第2部 4章の中に 申請同行と「水際作戦」 という箇所があった。その中から引用する。 「生活保護を受けたいと申し入れましたが、なんくせをつけられ申請を受理してもらえませんでした」「申請書すら書かせてもらえず、挙句の果てには「サラ金でも利用されたらいかがですか?」と言われました」「生活保護を受けたいのですが一人では不安です。前回受け付けてもらえませんでした」「数ヶ月間ずっと申請を受け付けてもらえなかった。」「先日私のは母が役場に申請をしようとでかけたのですが、軽く却下されてしまいました」「家がないと生活保護が受けられないと市の職員の方から言われました」ー福祉事務所に追い返された後、(もやい)に相談に来る人は少なくない。 呆れるのは、私達のような第三者が同行すれば、その人の状況はなに一つ変わっていないのにすんなりと申請できることだ。では、あのいろいろ理由をつけて追い返した行為は何だったのか・・・・と誰もがそう思う。一人で行ったときとの対応のあまりの違いに、「悔しい」と言って泣いた女性もいた。(もやい)のメンバーが直接聞いたところでも「申請書は金庫に入っているが、今日はもう鍵を持った人間が帰ってしまった」などと、稚拙な嘘をつく職員もいた。(東京都台東区)その時は結局30分後に申請書は出てきたが、悪びれた様子はなかったという。こうした行為は単に人々の生活再建を遅らせるだけではなく、行政への不信感を募らせ、生活保護受給後の担当職員とのコミュニケーションを難しくする。 5章 3 動き出した法律家達の中からの引用 「水際作戦」横行する背景には、生活保護のマイナスイメージの社会的浸透があるからだ。それは「おれは生活保護を受けながら、パチンコばかりやっているやつを知っている」という見分から始まって、生活保護といえば不正受給・暴力団といったアンダーグラウンドのイメージ、生活保護受給者は税金を支払っていないのに、最低賃金で働くワーキング・プア層や年金生活者よりも所得が高いのはおかしいという「不公平感」、生活保護を受けるような人間は「二等市民」であるという差別意識まで、幅広く多様な角度から展開されている。そしてこのような「市民感情」を背景に、政府は生活保護費の圧縮を計画しており、それが現場の締め付けに反映して「水際作戦」をもたらすという悪循環をなしている。 さあ、私の話をしよう。 数年前に離婚して母子家庭になった。いろいろな手続きのために役場に行った。 次はこちら、こちらと回されて最後に行ったのは母子福祉課のようなところだったと思う。 そこの対応には心底驚いた。順番が来たら、いきなり、後ろに大勢待ち人がいる窓口で「扶養料ははいくらくらいもらうのか?」とかプライバシーにかかわるような事柄を大声で質問された。私は何がなんだかよくわからないので、とにかくどのような援助があり、どのような援助が受けられるのか質問したが、それには一切答えず、立ち入った質問ばかりするのだ。 私は離婚するにあたり、持家を売却しそれを折半していたので、いささか蓄えもあり、これから仕事をしようと考えていたので、児童手当や生活保護 というの全く考えていなかった。ただ、私は、手続きとどのようなサービスがあるのか内容を知ればそれで十分だったのである。 そういうわけで窓口は中年の女性だったが、まるで私が不正受給を画策してきた不届きな輩と決めつけてかかるような態度だったが、とりあえず、書類一式はもらった。もちろんいろいろな手続きには時間がかかるとかのおまけの忠告付きで。その当たり前のことをするのに今はもうよく覚えていないが、わからないながらも強く大衆の面前で言わなければならなかった。自分のポケットマネーで児童手当を出しているわけでもないのに何でそんな扱いをするのか、まったく不愉快であり、理解もできない。また、現在は生活が多少なりとも不安定な状況になっているとはいえ、それまで税金を一度たりとも滞納することなく、固定資産税、自動車税、その他諸々をきちんと納めており、一応国民としての義務は果たしてきたつもりだ。その人間の立場が弱くなったら、いきなりそういう口のきき方をするとは役場とか公務員とは大したものである。そういう人間ははおそらく自分より弱いと判断した立場の者にそういう態度をとるのだろう。 それから、数年を経て今、それは「水際作戦」だったと理解した。作戦としてはかなり有効かもしれない。大勢いの前で恥をかかせれば、その人はもう二度と児童手当を申請しようとは考えないだろう。 たまたま私がそういう人に当たってしまったのかもしれないし、その人の機嫌が超不機嫌な時に当たってしまったのかもしれない。でもそれは公務員たる職務を忠実であるとは言えない。 すべての公務員というのは全体の奉仕者であり、一部の奉仕者ではない。 憲法15条 2 にちゃんと書かれている。日本国憲法第15条(Wikipedia) しかし、残念ながら、おおかたの公務員は一握りの権力者にたいする奉仕者になっている。 その中に良心的な人がいるとしても現在の官僚構造、役人組織は、一握りの権力者にたいして忠誠を尽くすように既に出来上がっていると思われる。 公務員だけに限らず、金が全てにおいて幅を利かせる現在において、全てが一握りの超金持ち=権力者の意向に従って全てが回っていくような社会構造になっている。 人としての良心に従って行動できない公僕はただの犬である。社会的弱者に向かって「自己責任」と言って吠えつづけている。喉から血が出るまで吠え続けるがいい。その周りにはうまく立ち回る猿もいる。ボスのご機嫌とりながら、おいしい餌をかすめ取っていくのである。犬に吠えられ、猿に餌をかすめ取られ、泣いて右往左往しているのは羊である。困っているのに仲間の羊が酷い目にあっても横目で見ているだけだ。 そろそろ人間であることを思い出そうぜ ![]() 人間とは自分で考え、自分の心と意志に従って行動する。 ![]() |
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